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僕とフランス車
フランス車との出会い
目覚めは突然に
イタ車も乗りました
そして今
僕と友の車たち
オススメフランス車
本国のクルマ写真館
僕とフランス車 
フランス車との出会い
>>サンク来る
それは1992年の初夏のこと。ルノー・サンク・バカラ、がやってきた。今は無き八王子のジヤクス(この会社自体今はない)にこのサンクはあった。当時の新車価格は268万。我が家に来たサンクは、3年落ち・走行3万キロ、車検2年付き、198万。今思うと高いなあ・・・
>>意識の萌芽
流石にLHD+5MTは最初慣れなかったけど次第に要領がわかり、どんどん距離を伸ばした。クルマ経験の少ない僕でも、おぼろげながらルノーの凄さに気づき始めた。どんなに長時間乗っても疲れない、以外と速い、などなど・・でも、フランス車(ルノー)のほんとうの凄さには気が付かなかった、まだ若かった僕・・・。
目覚めは突然に
>>
ルノーサンクの凄さはわかりかけていた。でも、本当の凄さは、ある日唐突に身体が感じ取ったのだ。それは高速巡航をしていた時だった。ルノーの良さはわかっていたつもりだった。でも、それは表面的なことだったのかもしれない。

>>ぞわぞわと伝わった凄さ
スゴイ。ルノーはスゴイ。ぞわぞわと椅子を通じて身体に染みいってきたこと。それは深さ。ルノーの奥の深さ。決して馬力や寸法という数値では表せない、言葉では表現しにくい深さ。乗り心地・椅子の良さ・ステアリングフィール・スイッチ類の操作感・シフトの感触・・・そういった「感性性能」の統一感。心地よさ。渾然一体としたバランス。すべてが深い。

>>ルノーの個性とは
一言で言うならばこころに何一つ突き刺さってこない。それは逆を返せば無個性。でも、そうではないのだ。感じ取れなければ感じられない、その「無個性」こそ個性なのだ。気が付いたとしても、単に椅子がいい、ちょっと乗り心地がいいくらいでしかなかろう。あからさまに柔らかくカタチの変なシトロエン、走り曲がることが気持ちイイプジョー。ではルノーは?ルノーはバランス。奥深さ。はっきりいって、わかりにくいのだ。玄人受け。だから、一概には理解されにくいのかも知れない。

イタ車も乗りました
>>アルファに乗って思ったこと
実のところ、フランス車に乗る前はイタ車に心底憧れていた。とくに、アルファ。手に入れたスッドの話は別に書くとして、その後もパンダや2台目のスッド、そしてバイクだけどドゥカティとかに乗って思うのは、ううむ、イタ車は疲れるなあということだ。

>>疲れる?
イタ車は大好きだ。でも、正直言って、疲れる。では何が疲れるのか。簡単に言えば、せかされる。行きはいいけど帰りがめんどくさい。疲れているときに乗りたくない。そんなところだろうか。でもねえ、数年に一度、どうしても欲しくなるときが来るのだなあ・・・困ったことに(w)。

そして今

>>ただひたすら安楽に
フランス車とイタリア車はかくも違うものなのか。どうも性に合うのは、安楽に人を迎え入れてくれるフランス車のようなのだ。曲がることよりもまっすぐ走る、しかも、果てしなく遠くへ。何も考えず、ゆったりと心地よい椅子に身をまかせ、ただステアリングに手を添え、視覚は回りの状況判断にのみ使い、ひたすらまっすぐ走ろうとするクルマに預ける。視線は優れたサスと椅子で一定に保たれ、ブレないので、ほんとうに疲れないのだ。気が付けば数百キロ、休み無く走ることが出来る。そう、フランス車は、疲れていても運転が苦にならない。疲れる要素を、排除することで疲労を無くし、安全運転につなげようとしているのだ。

>>もう、離れられない
気が付けばイタ車ももう7年乗っていない。どうにもこうにもフランス車が好きなのだから仕方ない。フランス車に乗るとほっとする。乗るたびににやけてしまう。ちょっと前のフランス車は、ドイツのような質実さも持っていなかったし、イタリア車のような鋭いエンジンも、速さも持っていなかった。でもフランス車には唯一無二な、快適安楽性能があった。そして、アンファンテリズム(幼児性)というフランス特有の概念に基づく面白おかしさやデザイン性、そして古今東西随一の合理性。それらに感化されてしまえば、もう離れることは出来ないのだ。僕もそんなひとりである・・・。

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