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オススメフランス車
ルノー5GTLフランセーズ 1985 4MT
>>安楽椅子と大ロール 1997.12〜1998.11頃
>>極楽安楽椅子
スッド1.2の項であったとおり、長距離を走破すべく導入したひみつ兵器(?)。カーセンサーに出ていた、その当時でも稀少になっていた初代サンク。スッドに乗ってはるばる浦和の店へ。45万という魅力的なプライスタグ。ヘロヘロになって辿り着いたお店で待っていたサンク・・・見て感動。そして、座って、僕の意志はあっというまに購入へと傾いた。話は聞いていた、サンクの極楽椅子。まさかこんなにいいとは!座っただけで笑いがこぼれる。嬉しいほどに「お仏蘭西の椅子」なのだ。ルノーの神髄。柔らかなベージュの風合いも、すぐかすれるジャージ生地も大きな味わいだ。

>>最高のクリスマス?
97年の年の瀬にやってきた初代サンク。北米仕様がベースなので発電量は充分、納車の途端にすぐさまカー用品店へ行ってオーディオを奢る。まあ当時だからカセット+CDチェンジャーなんだけどねえ・・・。日にちは12/24。寒さの中を進むイエローバルブ。まったりとした乗り味。ああ僕は幸せだ。一人で過ごす12/24だが、最高のプレゼント(ただし自分で買った)だった・・・。

>>小粋な70年代デザインと大きなロール
いまもって傑作の誉れ高い初代サンクのデザイン。可愛いヘッドライト、短いフロントオーバーハング、得も言われぬリアのスタイル、細くてハイトの高いミシュラン、3穴の貧相な鉄チンホイール・・・。乗れば柔らかいサスが生む、優雅な大ロール。回しても回してもハンドルが切れない、すっごくスローなステアリングレシオ。古い、ふる〜いフランス車の味。

▲アークヒルズにて。都市にものどかな風景にも似合う、やさしいデザインのクルマ。1998.10。
▲東京駅付近にて。なんとなくヨーロッパぽかったので停めてみた。テールスタイルも秀逸。ドアはとても小さい。1998.11。
>>ねばっこい直進性、とにかく疲れない
ルノーの直進性はサンクバカラでわかっていたが、古いほどその直進さが「ねばっこい」のがわかった。タイヤと路面が菌糸でくっつきながら走るような・・・それほどまでにこのクルマはまっすぐ走った。パワーは54PSで大したことないのに、トルクはOHCのシュペールサンクに輪を掛けて強大で、高速域やのぼり坂以外では何の苦も感じなかった。そして、サスは抜けていたはずなのに乗り心地は秀逸の一言。高い目線で視界が広く、椅子も前述の如くなので、長距離運転などなんのことはない。僕はこれを「無疲労性能」と称する。

>>だけど、地球にゃ、やさしくないよ
たかだか1.4LのOHV、しかも回さない。でも燃費は劣悪だったのはサンクが悪いのではなく、もとが北米仕様でイマイチなエンジンだっだということと、キャブの調子が一向に良くならなかったことによる。さらにEGR(排ガス再循環装置)が死んでいて、排ガスはディーゼル並みに真っ黒。吸ったら死ぬかと思った。こころが傷んだ・・・。

>>効かぬクーラー
なんとこれにもクーラーが付いていた。ちなみに水温計はなかった。書き忘れたがパンダにも無かった。スッド1.5-パンダ-サンクと、水温計なし。1990年代なのに(泣)。で、このクーラー、案の定、走らないと涼しくならないシロモノ、必要な停車中にはアイドルが不安定になってとても怖くて点けられない。意味、ねー!!暑いままに変化無し(涙

>>空調もイマイチ
この場合の空調は空気の流れを制御することを言う。シュペールが頭寒足熱の理想形(いまなお一番いいと思う)だったので期待したが、足下は暖まらず、外気導入もイマイチで、ちょっとガッカリ。


ルノーサンクGTLフランセーズ
 はこんなクルマ
▲長野五輪観戦へ。遠州から国道1、52、20、19、141号と走って長野市内へもう一息の聖高原で休憩。タイヤはもらったラリー用スタッドレス(W)。1997.2。
※本国仕様。TL.
珍しく洗車したあとなのでキレイ。ホイールベースの長さが良くわかる一枚。熱海、初春、けだるい朝。1998.4。
フランスの国営企業であるルノーが1972年、旧態化したルノー4(キャトル・以下R4)に次ぐ新しいベーシックカーとして送り出したのが初代サンクである。それまで5ドアや4ドアが当たり前だったフランス車に3ドア(当時は2ドアと言われていた)は新鮮で、斬新なボディスタイルなどが受け、初代サンクは爆発的に売れた。機構的には縦置きエンジンのFFで、R4のコンポーネンツの流用といってもいい。そのため、R4で特徴だった左右で違うホイールベースなどの異端さはそのまま引き継いだ。
エンジンはR4などのOHVを使用。その後アルピーヌ仕様、ターボや5ドアを追加しながら1984年まで生産された。
GTLは、別にグランツーリスモの略称であるGTとは何の縁もなく、上級バージョンであったTLの豪華版「グラン・TL」というニュアンスのグレード。当初は女性仕様として販売された。
キャピタル企業という当時のディーラーによって日本に輸入されたサンクGTLは、基本的にはアメリカ仕様をベースとし、「ベーシック」と装備充実版の「フランセーズ」が用意されていた。
1984当時の価格で、それぞれ199.8/209.8万円。エアコンはオプションで23.8万加算だった。
>>長野五輪へ
後輩が長野市に住んでいた。そいつの家を拠点に、五輪観戦しようということになり、土曜日に下道・国道1〜国道52〜国道20〜国道19〜国道141号で長野市内へ。翌日曜に白馬のアルペン競技を見に行ったのだが直前中止で残念。で、夜6時、19号号で帰ることになった。この時点ではユキはたいしたことなく、塩尻までもすんなり行けた。タイヤはラリー用のスタッドレスというすんごい性能のタイヤ)だったので安心。

>>雪道にて
19号は塩尻からはかなりの積雪、しかも木曽福島で原因不明の「完全停止渋滞」。本当に動かない。時間はもう21時くらい。ままよと延々19号をUターンして高速に乗る。高速はユキで轍ができるどの積雪だったが、FF+ラリータイヤで周囲を蹴散らして爆走。やっとこさ飯田。ところがここから通行止め!出口はがっかりするほどの大渋滞・・・飯田ICを出たのが月曜の午前2時。まあ出勤できればいいや。ここから山越えれば浜北だ。なんとかなるだろう、あと7時間もある。

>>無謀?山道へ突入
飯田〜浜北の山道。無謀かも知れない。でも長野でも南部だし、すぐに静岡だし、ここまで走ってタイヤの性能は充分だ。というよりもうこれを越える以外ない。サンクは山道を登っていく。平地は未だ良かった。坂の角度に比例するかのように、イエローバルブに照らされる目の前のユキの壁が大きくなってゆく(泣)。2速でも、こんなすごいタイヤでも空転し始めた。だが僕もサンクも頑張った。ただひたすらに走った。スリップ、Fドリ、なんでもあり、サンクは積雪20・以上の雪道をゴリゴリと進んでいった。でも無理がたたった。充分だと思ったガスが想像以上に消費が早く、メーター振り切った。

>>ルノーはタフだ
そして午前6時。なんとか山を下りきれた・・・やっと見つけた山間のGSの前で開くのを待ち、僕も死んだように眠った。でも開く気配がない。午前7時。もう会社に間に合わない。いちかばちか、会社を目指す。浜松の通勤渋滞にはまり、完全に定時出社の可能性は潰えた。結局9時半に出社。上司には呆れられたが、ぼくは構うものかと思った。僕は一晩格闘したのだ。ほんとに遭難するかと思ったほどの悪条件の中を走り抜いたのだ。サンクは強かった。仏車のヘビーデューティーぶりを遺憾なく見せてくれた。前々から仏車は丈夫だと思っていたが、それは確信に変わった日だった(ガソリンは会社まではもちました・・・)。

▲この年のフレンチブルーは大荒れの天気。R5+R9という渋すぎる組み合わせで行ったが、2台ともトラブるとは!1998.10。
SPEC
全長*全幅*全高:
3505*1550*1395・
ホイールベース:
右2405/左2 車重:810キロ
エンジン:1397cc L4 OHV
最高出力:54ps/5000rpm

最大トルク:10mkg/3000rpm

生産国:フランス
スペックは日本仕様
▲多摩川の和泉多摩川駅側で佇むサンク。河原はバーベキューのクルマでいっぱい。1998.5
>>むしむし事件
ドアから水が入るのか、リアのフロアに水が溜まっていたのでマットをめくったら失神しそうになった!虫の天国状態!適度な湿気。排気の熱。そりゃあ幸せだったでしょう虫(W)。でもさよなら虫。バル●ン炊いた。虫は根絶。でも水の進入経路はわからずじまい・・・。

>>そして買い替えへ
結局、98年春、遠州の会社は辞めることになり東京へ帰ってきた。そしたら途端にサンクは絶不調に陥った。ストップ&ゴーばかりの状況に、耐えられなかった。とにかくエンジンがぐずる。キャブが悪いのはわかっていたけれど、直せば随分かかるのもわかっていた。それだけではなく、わずかな間でも随分乗りすぎたのがたたったか、あちこちガタが出てきて、とても手に負えない状況になってきた。エアコンも全く効かない。排気ガスは真っ黒で心が痛い。直せばいいんだろうけど、安クルマ乗り継ぎの悪いクセと、車検が近かったことなどもあって、帰京後半年の98年秋、結局手放すことにした。でも流石に廃車はもったいないので、友達が貰ってくれるとになって一安心した。
そう、たった11ヶ月、短かった。でも、このクルマは乗り切った感があった。お恥ずかしながらの週末遠距離通いで
2500キロ/月の長距離運転、遭難するほどの悪路走破、初夏の東京の夜をかけぬける爽やかさ・・・。言えることは、環境の急激な変化の中で、このサンクなしでは今がないと言い切れるほどのクルマであったこと、そして、1971年にデビューした古い設計なのに、ボトムレンジであるサンクは素晴らしい直進性や快適さ(無疲労性能)を持っていた。そしてサンククラスのクルマにおいて、これらの性能をいまだもって
国産車は持ち得ていないだろう。矢張りスゴイ。フランス車はスゴイ。

▲ゴミの入りやすい、上向き過ぎのオーディオ、たっぷりサイズの極楽椅子。R4(キャトル)と同じ、水温計のないメーター。車内は椅子でいっぱいいっぱい。 1997.12
●写真は特記(※)以外はすべて本人撮影。
▲サンクバカラのページにあった写真の別バージョン。こうしてみると、新旧似ているけど全然ディティールが違うのですな。1998.10。
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