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オススメフランス車
ルノー5 (サンク) バカラ 1989 5MT >>僕らのエポック・カー 1992.5〜1997.秋頃
>>出会いは偶然に
それまで所有していたMR2と、家のくるまを統合することになったのは、僕が三島の大学から帰ってきたことと、家の経済状況が悪化していたこともある。何げなく親父と歩いて見に行ったジヤクス八王子(懐かしい)に、このサンクはいた。あれよあれよと話が決まり、購入することに。198万円・・・高ッ!最初のフランス車は、家のクルマでもあったのだ。

>>速い、とにかく速い
このサンクバカラは日本導入初年のクルマだったので5MT、キャブレター仕様だった(詳細は別記載)。サイズには不釣り合いな1.7Lエンジンは只のOHC・90馬力しかないけど、軽い車体とぶっといトルクを利して、どんなギアからも気持ちイイ加速をみせた。パワー信仰の当時のカローラ(160馬力)にも乗る機会があったが、実用域の乗りやすさはダントツサンク。エンジンはトルクだ!トルクゥウウ!

>>オドロキの快適性、欧州スタンダードの凄さ
A/Cがよいとか装備が優れているわけではなかった。素材は革シート以外はちゃちくて、ボディのツギも大きい。でもそれがなんだというのだ。素晴らしく身体をサポートする椅子、そして国産で同クラスではありえない直進安定性。ほんとうに何キロ走っても疲れない。これを快適というのであーる。欧州では1.1Lからというボトムレンジのクルマでも、椅子や脚などのお金をかけるところはかける。必要ない装備や過剰なプラの材質にはお金をかけない。それが欧州流だった。

▲シュペールサンクはガンディーニのデザイン。今なお不滅の傑作。1992.6 田園調布にて。
→誰もが「閉めたくなる」メーターナセルのデザイン。1992.6 田園調布にて。
>>美しい内外装
シュペール・サンクは美しい!ガンディーニによるデザインは今見ても傑作といえる。内装もイイ。メーター、文字の書体、ウインカーレバーに至るまで、造形が異端的だった仏車の最後のきらめきを感じることが出来た。

>>でも僕には
サンクバカラはパリ16区のお金持ちのセカンドカー。黒い車体にタンの革シート・・・当時大学3年生の僕がこのクルマの雰囲気を、乗りこなせるわけがない。若すぎたス。5GTターボや309GTIへの買い替えを真剣に考えた。結果としては買い替えなかったのだが、今はそれで良かったと思っている。

>>むごい、オーバーヒート
導入初年度のクルマは得てしていろいろトラブルがある。この年式のバカラはラジエータが小さい!という致命的な欠陥があった(翌年式から大きくなったように見えた)。もとから冷えないエアコンはエンジンルーム内に熱をこもらせ、真夏は事実上エアコンが使えない状況でもあった。当時の彼女を脱水症状寸前まで追い込んみました・・・スマソ。95年頃にはついにキャブレターが熱で変形し、交換する憂き目に(泣

>>細かいトラブル
何もなかったとは言えなかった。納車当日にファンのスイッチが溶解していきなり工場入り(W)などしたものの、路上で帰れなくなるなどのメジャーダメージは無し。あのころのクルマにしては「トラブルなかった方」と言えるかも知れない。

▲かわいいリアエンド。この角度がいちばん好きだった。母校の高校にて。ポルシェは先生のだ・・・ 1993。

ルノー サンク バカラ
 はこんなクルマ
▲真夏の木漏れ日の下、大学の構内でシュペールサンク佇む。1993.8。
フランスの国営企業であるルノーが1972年、旧態化したルノー4(キャトル)に次ぐ新しいベーシックカーとして送り出したのが初代サンク。初代サンクは爆発的に売れ、その後ターボや5ドアを追加しながら1984年まで生産された。
そしてその後を継ぐべく同年、第2世代のサンクが登場。
ルノ−・シュペール・サンク(SUPER 5)とも呼ばれる。デザインはイタリアのガンディーニが担当。初代サンクの縦置きFFレイアウトは捨てられて一般的な横置きFFになり、そのエンジンは1.1〜1.7Lまで幅広く用意された。ボディは当初から3/5ドアが用意された。
バカラは「小さな高級車」を目指して、ベーシックカーであるサンクに本革シートを奢った高級仕様で、1.7Lの大きなエンジンで快活に走れる味付けがなされていた。日本に導入当初は5MT、キャブレター90psだったが、すぐに3AT+インジェクション73ps仕様に切り替わった。
サンクは日本には1.1LのGTL、1.4LのTS、AT、1.7Lのバカラ、GTX、AT(後期)などが導入されたほか、スポーツバージョンとしてGTターボもあった。
1990年に後継車のクリオ(日本名ルーテシア)が登場、サンクはその後生産中止となった。
>>あまり良くない燃費
マニュアルで、別段回したつもりもなかったのに、燃費は街乗りで8キロ台。だが高速だと俄然良くなり、12キロ以上は軽く走った。

>>屋根が開いた
買った時から、キャンバストップがついていた。ディーラーオプションすらなかったので、前オーナーが後付けしたのだろう。かつてカーグラのシビックが装着したのと同じ、「マルエヌ・オープントップ」なるものがついていたのだ。手動だったが開口部がとても大きく、爽快だった。
でもその代償に、ただでさえ弱いボディはより一層しなり、雨漏りもひどかったが、あの開放感!には変えられなかった。

>>死ぬかと思った
正直、事故の多いクルマだった。運転者が悪かったのもあるけど・・・それにしても重なる事故でボディで換えなかったのは右後ろフェンダーくらい。いちばん驚いたのが、ある強風の日、錆びた屋上広告塔の鉄骨が左のドアミラーの付け根付近に落下してきたときだ!すこしでも落下地点がずれていたら、布屋根をつきやぶって僕はケガもしくは死んでいた!
たしかに事故は多かったが、あのサンク以降は親父・僕ともまったくそういうことがない。今でも家では「不運を吸って呉れたクルマ」ということにしている。

>>僕らのエポック・カー
いまなお忘れ得ぬのは、長く乗っていたこと、つき合ったひとが多かったことなども重なる。だがそれだけじゃない。初めてフランス車の凄さを僕らに教えてくれたサンクには特別な思い入れがあるのだ。
友人KO(今エスパス乗り!)は、このサンクの直進性能、フィーリングにいたく感激し、
以降ルノー無しでは生きられないルノーバカになってしもた。そう、僕らの人生観と価値観は、確かに変わった。オオゲサじゃない。そう、このサンクというクルマには、「人生変えるインパクト」があると思う。それは仏車に限らないことだけれど、とびきりサンクはなにか人を引き込む強いチカラを持っている気がしてならない。

▲初めて、クルマでこんなに遠くまで来た。瀬戸大橋をバックに一枚。長距離だが、まったくといっていいほど疲れなかった。1993.3。
▲1993.10。初めて行ったフレンチブルー、到着前に見た車山からの絶景と僕。変なポーズは辻仁成のマネ(謎)。
SPEC
全長*全幅*全高:
3590*1590*1365・
ホイールベース:2410・
車重:890キロ
エンジン:1721cc L4 OHC
最高出力:90ps/5500rpm

最大トルク:14mkg/3500rpm

生産国:フランス
スペックは1989年式
左:富士急へ旧小田急車の撮影へ。行きの中央道で渋滞にはまり、オーバーヒート。真夏暖房かけた。帰りの藤野駅で115系と。1993.8。
▲家のシュペールサンクと、僕の初代サンク。エンスー一家?
1998.10
●写真は特記以外はすべて本人撮影。
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